問題
次の【事例】を読んで,後記〔設問〕に答えなさい。
【事例】
1 A(25歳,男性)及びB(22歳,男性)は,平成31年2月28日,「被疑者両名は,共謀の上,平成31年2月1日午前1時頃,H県I市J町1番地先路上において,V(当時35歳,男性)に対し,傘の先端でその腹部を2回突いた上,足でその腹部及び脇腹等の上半身を多数回蹴る暴行を加え,よって,同人に,全治約2か月間を要する肋骨骨折及び全治約3週間を要する腹部打撲傷の傷害を負わせた。」旨の傷害罪の被疑事実(以下「本件被疑事実」という。)で通常逮捕され,同年3月1日,検察官に送致された。
送致記録に編綴された主な証拠の概要は以下のとおりである(以下,日付はいずれも平成31年である。)。
① Vの警察官面前の供述録取書
「2月1日午前1時頃,H県I市J町1番地先路上を歩いていたところ,前から2人の男たちが歩いてきた。その男たちのうち,1人は黒色のキャップを被り,両腕にアルファベットが描かれた赤色のジャンパーを着ており,もう1人は,茶髪で黒色のダウンジャケットを着ていた。その男たちとすれ違う際,黒色キャップの男の持っていた鞄が私の体に当たった。しかし,その男は謝ることなく通り過ぎたので,私は,『待てよ。』と言いながら,背後から黒色キャップの男の肩に手を掛けた。すると,その男たちは振り向いて私と向かい合った。茶髪の男が,『喧嘩売ってんのか。』などと怒鳴ってきたので,私が,『鞄が当たった。謝れよ。』と言うと,黒色キャップの男が,『うるせえ。』などと怒鳴りながら,持っていた傘の先端で私の腹部を突いた。私が後ずさりすると,その男は,再度,傘の先端で私の腹部を強く突いたため,私は,痛くて両手で腹部を押さえながら前屈みになった。すると,茶髪の男と黒色キャップの男が,私の腹部や脇腹等の上半身を足でそれぞれ多数回蹴った。私が,路上にうずくまると,男たちは去って行った。通行人が通報してくれて救急車で病院に搬送された。これらの暴行により,私は,全治約2か月間を要する肋骨骨折及び全治約3週間を要する腹部打撲傷を負った。
犯人の男たちについて,黒色キャップの男は,目深にキャップを被っていたのでその顔はよく見えなかった。また,私は,黒色キャップの男の方を主に見ていたので,茶髪の男の顔はよく覚えていない。」
② 診断書
2月1日に,Vについて,全治約2か月間を要する肋骨骨折及び全治約3週間を要する腹部打撲傷と診断した旨が記載されている。
③ Wの警察官面前の供述録取書
「2月1日午前1時頃,H県I市J町1番地先路上を歩いていたところ,怒鳴り声が聞こえたので右後方を見ると,道路の反対側で,男が2人組の男たちと向かい合っていた。2人組の男たちのうち,1人は,黒色のキャップを被り,両腕にアルファベットが描かれた赤色のジャンパーを着ており,もう1人は,茶髪で黒色のダウンジャケットを着ていた。黒色キャップの男は,持っていた傘の先端を相手の男に向けて突き出し,相手の男の腹部を2回突いた。すると,相手の男は両手で腹部を押さえながら前屈みになった。さらに,茶髪の男と黒色キャップの男は,それぞれ足で相手の男の腹部や脇腹等の上半身を多数回蹴った。相手の男がその場にうずくまると,2人組の男たちは,その場から立ち去って行った。相手の男がうずくまったまま動かなかったので心配になって駆け寄り,救急車を呼んだ。
2人組の男たちについて,黒色キャップの男の顔は,キャップのつばで陰になってよく見えなかった。茶髪の男の顔は,近くにあった街灯の明かりでよく見えた。今,警察官から,この写真の中に犯人がいるかもしれないし,いないかもしれないという説明を受けた上,20枚の男の写真を見せてもらったが,2番の写真の男が,『茶髪の男』に間違いない。警察官から,この男はBであると聞いたが,知らない人である。」
④ W立会いの実況見分調書
犯行現場の写真及び図面が添付されており,また,Wが2人組の男たちの暴行を目撃した位置から同人らがいた位置までの距離は約8メートルであり,その間に視界を遮るようなものはなく,付近に街灯が設置されていた旨が記載されている。
⑤ A及びBが犯人として浮上した経緯に係る捜査報告書
犯行現場から約100メートル離れたコンビニエンスストアに設置された防犯カメラで撮影された画像の写真が添付されており,同写真には,2月1日午前0時50分頃,黒色のキャップを被り,両腕にアルファベットが描かれた赤色のジャンパーを着た男と,茶髪で黒色のダウンジャケットを着た男の2人組が訪れた状況が撮影されている。また,同画像について,警察官が同店の店員から聴取したところ,同人は,「以前,ここに映っている黒色キャップの男と茶髪の男が酔って来店し,店内で騒いだので通報した。その際,臨場した警察官が,彼らの免許証などを確認していたので,その警察官なら彼らの名前などを知っていると思う。」と供述したため,その臨場した警察官に確認したところ,黒色キャップの男がA,茶髪の男がBであることが判明した旨が記載されている。
⑥ A方及びB方の捜索差押調書
2月28日,A方及びB方の捜索を実施し,A方において,傘,黒色キャップ,両腕にアルファベットが描かれた赤色のジャンパー及びA所有のスマートフォンを発見し,B方において,黒色のダウンジャケット及びB所有のスマートフォンを発見し,これらを差し押さえた旨がそれぞれ記載されている。
⑦ 押収したスマートフォンに保存されたデータに関する捜査報告書
A所有及びB所有のスマートフォンのデータを精査した結果,2月2日にAがB宛てに
送信した「昨日はカラオケ店にいたことにしよう。」と記載されたメールや,同メールにB が返信した「防犯カメラとかで嘘とばれるかも。誰かに頼んで一緒にいたことにしてもら うのは?」と記載されたメールが発見された旨が記載されている。
⑧ Aの警察官面前の弁解録取書
「本件被疑事実について,私はやっていない。昨年,傷害罪で懲役刑に処せられ,現在その刑の執行猶予中であるため,二度と手は出さないと決めている。Bは,中学の後輩である。2月1日午前1時頃は犯行場所とは別の場所にいたが,詳しいことは言いたくない。生活状況について,結婚はしておらず,無職である。約1年前に家を出てからは,交際相手や友人宅を転々としている。」
⑨ Aの前科調書
平成30年に傷害罪で懲役刑に処せられ,3年間の執行猶予が付された旨が記載されている。
⑩ Bの警察官面前の弁解録取書
「本件被疑事実については間違いない。」
2 検察官は,A及びBの弁解録取手続を行い,以下の弁解録取書を作成した。
⑪ Aの検察官面前の弁解録取書
⑧記載の内容と同旨。
⑫ Bの検察官面前の弁解録取書
「本件被疑事実については間違いない。Vの態度に立腹し,Aが傘の先端でVの腹部を突いた後,私とAがVの腹部や脇腹等の上半身を足で蹴った。犯行当時,私は,茶髪で黒色のダウンジャケットを着ており,Aは,黒色のキャップを被り,両腕にアルファベットが描かれた赤色のジャンパーを着ていた。Aは,中学の先輩で,その頃からの付き合いである。もし自分がこのように話したことが知られると,Aやその仲間の先輩たちなどから報復されるかもしれない。生活状況について,結婚はしておらず,無職である。自宅で両親と住んでいる。前科はない。」
検察官は,3月1日,両名につき勾留請求と併せて接見等禁止の裁判を請求し,同日,裁判官は,A及びBにつき本件被疑事実で勾留するとともに,アAにつき接見等を禁止する旨を決定した。
なお,Aの勾留質問調書には,Aの供述として,「本件被疑事実については検察官に述べたとおり。」と記載され,Bの勾留質問調書には,Bの供述として,「本件被疑事実については間違いない。」と記載されている。
3 3月2日,Aの弁護人は,勾留状の謄本に記載された本件被疑事実を確認した上,Aと接見したところ,イAは,「実は,Vに暴力を振るって怪我をさせた。Bと歩いていると,いきなり後ろから肩を手でつかまれた。驚いて勢いよく振り返ったところ,手に持っていた傘の先端が,偶然Vの腹部に1回当たり,私の肩をつかんでいたVの手が外れた。傘が当たったことに 腹を立てたVが,拳骨で殴り掛かってきたので,私は,自分がやられないように,足でVの腹部を蹴った。それでもVは,『謝れよ。』などと言いながら両手で私の両肩をつかんで離さなかったため,私は,Vから逃げたい一心で更にVの腹部や脇腹等の上半身を足で多数回蹴った。このとき,Bも,私を助けようとして,Vの腹部や脇腹等の上半身を足で蹴った。」旨話した。
4 その後,検察官は,所要の捜査を行い,以下の供述録取書を作成した。
⑬ Aの検察官面前の供述録取書
下線部イ記載の内容と同旨。
⑭ Bの検察官面前の供述録取書
「自分が,Vの態度に立腹してVの腹部や脇腹等の上半身を足で多数回蹴って怪我をさせたことは間違いない。このとき,Aも一緒にいたが,Aが何をしていたのかは見ていないので分からない。」
⑮ Wの検察官面前の供述録取書 3記載の内容と同旨。
5 検察官は,所要の捜査を遂げ,A及びBにつき,本件被疑事実と同一の内容の公訴事実で公訴を提起した(以下,同公訴提起に係る傷害被告事件につき,「本件被告事件」という。)。 Aの弁護人は,検察官から開示された関係証拠を閲覧した上,再度Aと接見したところ,Aは,「本当は,Vの態度に腹が立って,VやWが言っているとおりの暴行を加えた。しかし, 自分は同種前科による執行猶予中なので,もし認めたら実刑になるだろうし,少しでも暴行を加えたことを認めてしまうと,Vから損害賠償請求されるかもしれない。検察官には供述録取書記載のとおり話してしまったが,裁判では,犯行現場にはいたものの,一切暴行を加えていないとして無罪を主張したい。」旨話した。
6 第1回公判期日における冒頭手続において,【事例】の5記載の接見内容を踏まえ,Aは「犯行現場にはいたものの,一切暴行を加えていない。」旨述べ,ウAの弁護人も無罪を主張した。一方,B及びBの弁護人は,公訴事実は争わないとした。
その後,検察官が,①,②,④から⑦,⑨,⑪から⑬及び⑮記載の各証拠の取調べを請求したところ,Aの弁護人は,①,④,⑪から⑬及び⑮記載の各証拠について「不同意」とし,その他の証拠については「同意」との意見を述べた。また,Bの弁護人は,検察官請求証拠についてすべて「同意」との意見を述べた。
裁判所は,A及びBに対する本件被告事件を分離して審理する旨を決定し,分離後のBに対する本件被告事件の審理を先行して行った。
7 Bは,自身の審理における被告人質問において,「Aと歩いていたところ,いきなりVが『待てよ。』などと言ってきたので,何か因縁を付けられたと思った私は,『喧嘩売ってんのか。』 などと言った。すると,Vは,『鞄が当たった。謝れよ。』などと言ってきたので,私は,その横柄な態度に腹が立った。Aが,『うるせえ。』などと怒鳴りながら,持っていた傘の先端 でVの腹部を2回突き,私は,前屈みになったVの腹部や脇腹等の上半身を足で多数回蹴った。Aも,Vの腹部や脇腹等の上半身を足で多数回蹴っていた。このことは,逮捕された当初も話していたが,途中からAに報復されるのが怖くなり,検察官にきちんと話すことができなかった。しかし,今は,きちんと反省していることを分かってもらおうと思い,本当のことを話した。」旨供述し,後日,結審した。
8 その後,分離後のAに対する本件被告事件の審理において,V及びWの証人尋問など所要の証拠調べが行われ,さらに,Bの証人尋問が行われた。その際,エBは,一貫して「本件犯行時にAが一緒にいたことは間違いないが,Aが何をしていたのかは見ていないので分からない。」旨証言した。
後日,Aは,被告人質問で,自身が暴行を加えたことを否認した。
〔設問1〕
下線部アに関し,裁判官が,Aにつき,刑事訴訟法第207条第1項の準用する同法第81条の「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由がある」と判断した思考過程を,その判断要素を踏まえ,具体的事実を指摘しつつ答えなさい。
〔設問2〕
検察官は,勾留請求時,③記載のWの警察官面前の供述録取書は,本件被疑事実記載の暴行に及んだのがA及びBであることを立証する証拠となると考えた。A及びBそれぞれについて,同供述録取書は直接証拠に当たるか,具体的理由を付して答えなさい。また,直接証拠に当たらない場合は,同供述録取書から,前記暴行に及んだのがAであること又は前記暴行に及んだ のがBであることが,どのように推認されるか,検察官が考えた推認過程についても答えなさい。なお,同供述録取書に記載された供述の信用性は認められることを前提とする。
〔設問3〕
Aの弁護人は,3月2日の時点で,下線部イのAの話を踏まえ,仮にAが公訴提起された場合に冒頭手続でどのような主張をするか検討した。本件被疑事実中,「傘の先端でその腹部を2回突いた」こと及び「足でその腹部及び脇腹等の上半身を多数回蹴る暴行を加え」たことについて,それぞれ考えられる主張を,具体的理由を付して答えなさい。
〔設問4〕
下線部ウに関し,Aの弁護人が無罪を主張したことについて,弁護士倫理上の問題はあるか,司法試験予備試験用法文中の弁護士職務基本規程を適宜参照して論じなさい。
〔設問5〕
下線部エのBの証人尋問の結果を踏まえ,検察官は,新たな証拠の取調べを請求しようと考えた。この場合において,検察官が取調べを請求しようと考えた証拠を答えなさい。また,その証拠について,弁護人が不同意とした場合に,検察官は,どのような対応をすべきか,根拠条文及びその要件該当性について言及しつつ答えなさい。
出題趣旨
本問は,犯人性が争点となる傷害事件(共犯事件)を題材に,
- 接見等禁止における罪証隠滅のおそれの判断要素(設問1)
- 犯人性を認定する証拠構造(設問2),
- 被疑者の弁解等を踏まえた事実認定上及び法律上の主張(設問3)
- 弁護士倫理上の問題点(設問4)
- 刑事訴訟法第321条1項1号書面の証拠能力(設問5)
について,【事実】に現れた証拠や事実,手続の経過を適切に把握した上で,法曹三者それぞれの立場から,主張・立証すべき事実,その対応についての思考過程や問題点を解答することを求めており,刑事事実認定の基本構造,刑事手続についての基本的知識の理解及び基礎的実務能力を試すものである。
答案構成
第1 設問1について
1 「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由がある」には、勾留で防止できない「罪証隠滅のおそれ」が必要
2 証拠隠滅のためアリバイ工作のおそれがあり、現にしようとしているため、上記理由を満たす
第2 設問2について
1 Wの供述録取書記載のWの供述は犯行目撃供述
Wの供述録取書は、犯人識別供述であり、Bとの関係では直接証拠
Wの供述録取書は、Aを犯人と識別できず、Aとの関係では直接証拠にはならない
2 Aが暴行に及んだ推認過程について
- Wの供述録取書と各証拠の組み合わせにより推認
第3 設問3について
1 傘の先端でその腹部を2回突いたことについて
- (Aの主張)暴行について認識しておらず、構成要件的故意(刑法38条1項)を有しないから、傷害罪は成立しない
2 多数回蹴る暴行を加えたことについて
- (Aの主張)正当防衛が成立し、傷害罪は成立しない
- (Aの主張)仮に、正当防衛が成立しない場合、過剰防衛として刑は減免されるべき
第4 設問4について
Aの弁護人の行為の真実義務について
- 弁護人の真実義務は消極的真実義務
- 弁護士の誠実義務より有罪主張はできない
- 証拠不十分を理由とした無罪の弁論は問題ない
第5 設問5について
1 Bの供述を録取した被告人質問調書の証拠調べ請求
2 被告人質問調書は弁護人不同意の場合、証拠能力が認められない(320条1項)
被告人質問調書の321条1項1号の要件該当性について
321条1項1号の要件を満たすため、証拠の取調べを請求すべき